サザンの活動中止の真相

今年5月に発表した「来年以降の活動は無期限休止」前の最後のライブ。
しかし誰よりそのライブを楽しみにし、そして誰よりも桑田佳祐(52)自身がありがとうをいいたかったはずの女性のすがたは、会場になかった。
(以下引用)
その女性とは。桑田の最愛の姉岩本えり子さん(56)。
えり子さんはライブ初日16日(8月)の3日前に日本を発っていた。
桑田にとってえり子さんは、姉であり、母であり、音楽の師匠であった。

桑田の両親は、映画館や飲食店など、自宅のある茅ヶ崎市を中心に商売をしていた。
音楽好きな両親は、ラテンや石原裕次郎のヒット曲などを姉弟に聞かせたいた。
とはいえ、多忙な両親が家にいることは少なかった。
そのため、姉のえり子さんが桑田に子守歌代わりに歌謡曲を歌って聞かせた。
桑田自身インタビューで姉についてこう語っている。
姉と2人で布団に入って、天井の木目が色んなものに見えたりする中で、さびしいから手を握って「上を向いて歩こう」を歌っているうちに寝ちゃったりとかね。

妻である原由子のために作った「いとしのエリー」がえり子さんを歌った曲だという伝説が残ったのも、桑田のえり子さんへの強い思いがったからこそ。そのえり子さんは、結婚後に渡米。
その後も桑田の英語歌詞を補作するなど、弟の師であり続けた。

幼いころから付き合いのあった知人はこう話す。
「桑田君より、お姉さんの方が音楽の才能は凄いぐらいですよ。最近でも桑田君の方から姉に電話をして、英語でなんといったらいいとか相談もよくあったようです。」

実は、えり子さんは95年に乳がんを患っている。(この時も末期癌と宣告を受けている)
知人が当時を振りかえって「私ガンなのよ。でも子供は幼稚園だし、まだ死ぬのは早いの。」と言ってました。病院に通い治療を続けよくなったんですけどね。

一度は健康を取り戻し、薬がいらないまで元気になったえり子さん。
だが病魔は完全に去ったわけではなかった。今年2月にふたたび体調の変化を訴えたという。
熱が出ることが多くなって、それに目が黄色みがかって、病院にいったら肝臓が悪いっていわれたらしい。
それで桑田君が東京の権威といわれる医師を紹介したんです。
その後、えり子さんはご主人と一緒に通院していました。

えり子さんはこの5月、本誌の取材にこう明かしている。末期がんで、余命数ヶ月といわれております。
それと前後して突然発表されたサザンの活動中止。
その頃桑田さんは、モチベーションが上がらないを話をしていました。お姉さんの病気を心配してライブをできるテンションになれないのではないか?とも言われてました。(音楽関係者)

30万人ライブの3日前にえり子さんは、ハワイへ向かった。
目的は、ハワイの中国人医師の所。西洋医学だけではなく東洋医学も駆使するカリスマと呼ばれる先生です。
アメリカ本土だけではなくて、アジアからもこの先生を頼って訪れる人も多いそうです。
その先生の段取りを桑田君がつけ、現地で診てもらっているみたいですね。
もう少ししたらえり子さんのご主人が帰国して桑田君に報告するみたいです。

サザンの休止宣言は、充電する期間がほしいと言ってました。(モチベーションを上げるため)
実は休止宣言の裏には、最愛の姉の健康状態が心配で、ライブが出来ないためでした。
(引用元:女性セブン)