おくりびと独占秘話 本木雅弘を支えた妻・内田也哉子

滝田洋二郎監督の「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。その中でも、主演の本木雅弘(43)は、俳優としての人気度が一気に急上昇!俳優としての本木雅弘が初めて評価された時でもあった。そんな俳優として全く売れなかった本木雅弘と妻・内田也哉子の苦労とは.
(以下引用)
アニメ映画以外での受賞は55年の『宮本武蔵』以来、実に54年ぶり。その渦の真ん中にいる本木をそっと見守っていたのが、妻である内田也哉子だ。授賞式出席のために渡米する際、本木は也哉子を同伴した。「さすがにレッドカーペットは一緒に歩けませんでしたが、受賞の瞬間を、現地で見守っていたんです。決まったときは普段落ち着いている也哉子さんも、さすがに興奮しちゃって、日本語と英語交じりで喜んで」(映画配給会社関係者)

本木と也哉子が付き合うキッカケになったのは、くしくも今回と主な舞台・アカデミー授賞式だった。
「92年、授賞式の様子を中継するテレビ番組のナビゲーターとして本木さんが出演したんです。そのときの通訳が也哉子さんだった、と。当時也哉子さんは16歳、本木さんは26歳でした。その後初めてのデートで本木さんから、もし今後、結婚を考えるようなことがあったら、僕を候補に入れておいてと、也哉子さんにいきなりプロポーズをしたといわれています」(スポーツ紙関係者)
ふたりが結婚したのは、付き合い始めてから2年後。本木が内田家に婿入りする形で始まった夫婦生活は、決して平坦ではなかった。

本木は、ある女性誌のインタビューで当時の也哉子との生活を、こう振り返っている。
「恋人期間を曖昧に過ごしてきたから、結婚した後に、付き合い始めのカップルのような壁を乗り越えなきゃいけなかった。それこそ日常生活の瑣末なルールさえ、うまく着地点を見つけられず、お互いいろんなズレを感じながらやり過ごしていました」
どこかぎこちない夫婦生活を続ける本木と也哉子に、転機が訪れたのは、結婚2年目の終わりごろ。4ヶ月に及ぶアメリカ旅行中のことだったという。日ごろのふまんを爆発させた也哉子が自殺未遂を起こしたのだ。「死んでやる!と、部屋の窓から身を乗り出して・・・・。本木さんは、慌てて彼女を羽交い絞めで引きずり下ろして、頬っぺたをひっぱたいたんだそうです。それならなんで結婚したんだ。死ぬなんて甘すぎるだろう!と怒鳴りつけたそうなんです」(本木の知人)

本木自身が企画し構想を練った『おくりびと』。原案が生まれたのは、30歳前のインド旅行の最中だったというが、「それだけじゃない。也哉子さんという本木さんにとって非常に身近で大切な人が、ほんのつかの間とはいえ、死の淵に立ったこの出来事も、本木さんにとって『おくりびと』の世界を暖めていく大きな力になったんだろうね」(芸能プロダクション関係者)
そして夫婦生活もまた、この出来事をきっかけに、シンクロしていく。こうやって歩み寄ればいいという夫婦のルールが、少しずつ見えてきたのだ。夫婦はあくまで平等とう暗黙の了解。
「夫婦である以前に、個人だ、ということ。いまだに二人のときはお互いを也哉子さん、雅弘さんと丁寧に呼び合っているそうですよ。ひとりの時間は、一切邪魔をしない、余計な口出しもお互いにしない、というのも夫婦の決まりごと。お互いを個人として尊重し合っているんです」(別の知人)

97年に長男、99年に長女が生まれ、夫婦に父母という立場が加わっても、そのルールはしっかり守られた。
「お子さんのお弁当作りも、本木さんと也哉子さんが交代で。也哉子さんが忙しいときには、掃除や洗濯といった家事も本木さんがこなす。逆に本木さんが映画やドラマの撮影に入るときには、何も考えず仕事に打ち込めるようにと、也哉子さんが内田家の生活のすべてを見るそうなんです。そういった意味で、今回のオスカーは、也哉子さんと二人三脚、14年かけてやっと手にしたものなのかもしれませんね」(前出・別の知人)

28日、授賞式後の短い滞在を楽しんで、アメリカから帰国した本木。「次はこのアカデミー賞の重みをどう忘れるかが挑戦。素直に芝居することを続けたい。かかわってくれた人に感謝」と、語ったが、その言葉は、きっと、妻に向けられたものだったに違いない。
(引用元:週刊女性・一部編集)