今となっては、子供ができなかったことは紀香にとって幸いだったかもしれないが、最初は真剣に子作りに励んでいたようだ。
(以下引用)
「見た目は若々しくても、すでに30代後半に さしかかっている彼女だけに、すぐにでも子供を欲しがった。マメに基礎体温を測って、一番、妊娠の可能性が高い日をチェック。さらに、いつ、どうやってイタせば成功率が高いかも、じっくり研究したそうです」(女性誌記者)
あの紀香サマと、ナマ身でエッチできるのなら、いつでもどこでも、どんな体位でも大歓迎、末代までの自慢話にしようというものだが、命中を期待された陣内には、少々、荷が重たかったようだ。
(中略)
しかし、そこで、アンタが弱いのがいけないんやないのとダンナを責めず、ひたすら自分の努力が足りないと思ってしまうのが紀香。
「当時、陣内は大阪と東京を新幹線で往復するハードな生活をしていましたから、きっと疲れているせいだと心配したんでしょうね。手作り弁当には、ニンニク、山芋など、スタミナが付く食材を使ったおかずが、所狭しと詰められていたとも。でも、それすら、彼にとってはプレッシャーになっちゃったみたい」(夕刊紙記者)(引用元:週刊大衆)
若手芸人たちには、「やらせてくれない」と愚痴っていたそうだが、元々紀香の期待に応えられずに逃げ出したのは陣内だったのだ。嫁のプレッシャーに負けた陣内は、この後、楽なほう(不倫)へ走っていく。
(以下引用)
そして、結婚から1年を過ぎた08年初頭、夫婦の間に、ひとつの転機がやってくる。 紀香に、ミュージカル「ドロウジー・シャペロン」の主演の話が舞い込んできたのだ。
「女優としてなかなか結果を残せず、壁を感じていた紀香にとってまたとないチャンス。でも、この仕事を受ければ当面、妊娠は許されず、出産時期がどんどん遅れることになる。悩んだ彼女が陣内に相談したところ、やりたいんやったら、やったらエエ。応援するでと激励されたとか。(前同)
ということで、しばらく子作りは休止となったが・・・・・
普通に考えれば、妊娠しないようなセックスを楽しむこともできたはずなんですけど、紀香のプロ意識が、それを許さなかった。
(引用元:週刊大衆)
こうして、「嫁がやらせてくれない」となったというわけ。